今回は岡田有希子さんについて紹介していきます。1983年に上京し芸能界デビュー。
そしてまたたく間にトップアイドルになり、「ポスト松田聖子」と呼ばれていました。
しかし1986年4月8日、所属事務所サンミュージック屋上から飛び降り、全身打撲で死亡。18年の生涯を閉じました。
目次
岡田有希子の自殺に世間が騒然!
View this post on Instagram
ON TV ! 3秒聴けば誰でもわかるあなたの名曲ベスト100- 有希子ちゃん『くちびるNetwork』 #くちびるNetwork #岡田有希子
岡田有希子さんの自殺の真相については、未だ多くの謎が残っています。
まず自殺した4月8日に何があったのか、わかっているところだけ紹介します。
4月8日当日、岡田さんの自宅マンションから「ガス臭がする」との通報が警察と東京ガスに入ります。
レスキュー隊が駆けつけると岡田さんはリ◯トカットを行い、ガス自殺を図っていました。
その後、北青山病院で治療した後、所属していたサンミュージックの専務、福田時雄さんが、病院から東京・四谷の事務所へ連れて帰り、社長室にて付き人を含む3人で話をしていましたが、福田専務が相澤社長からの電話のため席を外した隙に、岡田有希子さんは付き人の目を盗み、屋上へ行き飛び降りました。
つまり二度自殺を図っています。
・リ◯トカットを行い、ガス自殺を図る。
・屋上からの飛び降り自殺を図る。
この事件は自殺した直後からワイドショーが取材したため、現場にはまだ遺体が毛布か何かで被せられた状態でTVに写りました。そして芸能リポーターの梨田さんが専務の福田さんに直撃インタビューするという放送をします。
※動画の閲覧にはご注意ください。
ユッコ・シンドロームという社会現象にもなった岡田有希子さんの自殺。 pic.twitter.com/89P4nAdgoy
— あつし (@fMlqnmvgXaqUWC6) 2019年4月10日
自殺原因を問われた際の回答:「わからない」としながら「躁鬱の激しい子ではあった」と答えています。
人気絶頂のトップアイドルの自殺は世間に衝撃を与え、「ユッコ・シンドローム」という社会現象を引き起こします。
16歳の少女が「岡田有希子のようになりたい」と自ら命を絶ったのをはじめ、1週間で8人が自殺。さらに、21歳の浪人生が同じ現場で飛び降り自殺をするなど、1カ月で後追い自殺したファンは30人以上おりショッキングな出来事としても記憶されることとなります。
尾崎豊さんの時もこのような現象がありましたね・・・
なお後日、福田専務は岡田有希子さんの1回目の自殺未遂後に事務所にいった経緯を、彼女の希望であったと語っています。
幸いためらい傷だけだったので、医者に入院の必要はないと告げられ、私は有希子を連れてタクシーに乗りました。『どこに行きたい? 名古屋の実家へ戻るか? 自宅マンションへ帰るか? 事務所に行く?』と尋ねると、事務所がいいと言うので、四谷へ向かったのです
この時には岡田有希子さんは覚悟を決めていたのかもしれませんね。
自殺前日は映画「ロッキー4」を試写会で鑑賞
久しぶりに‼
ユッコ❤🌟⭐が
最後に観た映画👌
ロッキー4 炎🔥の友情
観てる🙇😊😂😂
岡田有希子❤🌟⭐
ユッコ❤🌟⭐
佳代ちゃん❤🌟⭐@retoro_mode pic.twitter.com/zmVR68cvOj— ユッコ❤愛❤歴史がちがう‼ (@19860408Y) 2019年1月20日
自殺前日は映画「ロッキー4」を試写会で鑑賞しています。渋谷パンテオンで報道陣によって、その姿がカメラに収められています。鑑賞後は、マネージャーやアイドル仲間たちと電話をしています。いろいろと証言が異なりますが「元気そうだった」、はたまた「落ち込んでいるようだった」とも言われています。
また岡田有希子さんが亡くなる1か月前には気になるような言動をとっていたことを相澤社長が明らかにしています。
「(亡くなる1か月前に)楽屋でふたりで打ち合わせをしていたら、ふと彼女が寄り添ってきたんですよ。そんなこと一度もなかったんですが、何か話したいことがあるような、甘えるようなそぶりで。でもぼくはとっさによけてしまった」
これはきっと岡田有希子さんのSOSだったんでしょうね。
岡田有希子の遺書に峰岸徹の名前が記載!男女関係のもつれが自殺の原因か?
岡田有希子さんの青山の自宅からは「遺書」が見つかっています。それは1度目の自殺の後、警察が発見し、その翌日、岡田有希子さんの両親に手渡されたそうです。
その遺書には、
「男優の峰岸徹さんにふられた・・・あこがれていたのに、最近冷たくされて悲しい・・・勝手なことをしてごめんなさい・・・」
と岡田さんが憧れていた俳優の峰岸徹さんの名前が残されていたと報じられました。
岡田有希子さんと峰岸徹さんは、自殺の前の年から始まった連続テレビドラマ「禁じられたマリコ」で共演をしていました。
当時、峰岸徹さんは42歳、岡田有希子さんとは24歳差でした。
岡田有希子さんの訃報を受け、峰岸徹さんはこのようにコメントしています。
「正直、ものすごくショックです。僕は兄貴のつもりでいたんですが、彼女はそれ以上のプラスアルファがあったのかもしれない。それが愛だったら、責任を感じます」
サンミュージックの相澤会長は岡田有希子さんは亡くなる前日の深夜、世田谷区・成城の峰岸徹さんの自宅前に1人訪れ、朝方、泣きながら帰宅したと公表しています。当時の峰岸徹さんは元妻との間に小学生の娘がおり、新しい婚約者もいたそうです。
まだ10代で大人の恋にあこがれていたのかもしれませんね。まだ慣れてなかった芸能界で優しくしてくれて好きになっちゃったんでしょうね。
岡田有希子の遺書の内容が公開されないことで数々の噂が囁かれる!自殺の真相は?
遺書に峰岸さんの名前が載っていたという報道ですが、実際には遺書自体が公開されているわけではありません。
しかもその遺書は長らくサンミュージックの金庫に保管されていると都市伝説的に語り継がれています。
そのサンミュージックの相澤会長はその遺書のことについては頑なに口を閉ざしていました。
当時、岡田有希子さんには家族にも見せていない日記のようなノートが残されていて、そこには死に至った交際相手について赤裸々に綴られていたという話があり、長くその相手の名前だけでも聞かせてもらえないかとうかがっていた芸能リポーターがいるそうです。
あるときは酒の席で相澤会長に突っ込んだが「どんなに酔っていても、その話になると『その話はやめてくれ』の一点張りで、教えてもらえなかった」という。
「でも、当時取材した芸能リポーター(故人)からは、日記自体の存在を会長が認めた話も聞きましたし、日記の最期の言葉が“さようなら”だったということも分かっています」
酒の席でも答えないということは、それほど重い内容が書かれていたということでしょうか。
ちなみに当時の報道番組では自殺の原因はドラマで共演して想いをよせていた俳優に振られた事によるショックと多忙な仕事で過労が重なり起きた躁鬱病と伝えられています。
熱愛相手の俳優は石原軍団の神田正輝説
峰岸さんとの恋愛関係に悩んでいたという報道ですが、実は別の人間だったという噂がいくつかあります。まず1人目は神田正輝さんです。
岡田有希子の自殺の原因は
神田正輝との交際って
その昔に誰かに聞いたけどなぁ…— 東北秘湯愛好会 (@touhokuhitou) 2015年12月26日
テレビは堂々と嘘を垂れ流す。岡田有希子が峰岸徹を好きだったというのは作り話。本当は神田正輝と付き合ってたのに…。#tbs
— chokurin (@chokuri) 2015年12月26日
週刊サンケイ(1986年6月12日号)が、岡田有希子さんが想いを寄せていたのは、峰岸徹さんではなく、神田正輝さんであったと報じました。
報道された内容によると岡田有希子さんは事務所の先輩である松田聖子さんを通じて神田正輝さんと知り合い、彼一筋で、神田正輝さんの子どもを妊娠するに至っていたというのです。
ところが、1986年4月7日(岡田有希子さん自殺の前日)、松田聖子さんは神田正輝さんの子どもを妊娠していることを発表しました(妊娠4カ月)。
この妊娠発表を聞き神田正輝さんが松田聖子さんを選んだことにショックを受けて岡田有希子さんは自殺をしたと言うのです。
しかしこの件は週刊誌が売上目的の捏造記事と認めています。
また実際の岡田有希子さんと神田正輝さんの関係は神田正輝さんと松田聖子さんの結婚披露宴で花束を贈呈しただけの関係でしかないようです。
熱愛相手の俳優石原軍団の舘ひろし説
また別の週刊誌では、岡田有希子さんの本当の相手は、峰岸徹さんでも神田正輝さんでもなく、舘ひろしさんだと報じられました。
生前、岡田有希子さんは好みのタイプとして、藤竜也さん、舘ひろしさんを挙げていました。
実際、共演した際には嬉しくてたまらないといった表情をしています。
舘ひろし&岡田有希子【ザ・トップテン】(1984/10/15放送)隠れ舘さんファンだったユッコさんここで爆発(笑) pic.twitter.com/qS9ayjBEnL
— naka hide (@morningsun16) 2017年6月7日
松田聖子さんと神田正輝さんを通じて舘ひろしさんと知り合った岡田有希子さんは恋に落ちますが、舘ひろしさんは遊びだったことを苦に自殺をしたというのです。
しかしこちらの件も週刊誌が売上目的の捏造記事と認めています。
石原軍団のボス!石原裕次郎との愛人説
さらには石原裕次郎さんと愛人関係にあったと言う噂もありました。
View this post on Instagram
今日10月16日はボスの日🕶 . やっぱりボスといえば、この方ですよねー!!✨ . . . . #石原裕次郎 #ボスの日 #石原プロモーション #石原プロ
その元になったのは神田正輝さんとの関係を報じた週刊サンケイです。
神田正輝さんとの関係以外に以下のことも書かれていたようです。
・全国的人気を得るため政界人にアイドルが枕営業→それを癒していたのが石原軍団?
・さらに岡田有希子さんの1度目の自殺未遂後には、事務所の人間が平手打ち+「とんでもないことをしてくれたな!」と追い詰めたとも。
ここから話が飛躍し石原軍団の石原裕次郎さんとの関係が噂されてしまいました。
一説には、石原裕次郎さんの子供を岡田有希子さんが孕んでしまったけど、石原軍団側にそれを堕ろせと言われて人生を悲観して、ビルから飛び降り自殺したと言われています。
ただこれは噂が飛躍しただけですので真っ赤な嘘です。
なぜなら岡田有希子さんの遺稿集「愛をください」には妊娠説を否定する根拠が書かれています。
実際は 亡くなる10日前に母親との買い物で生理用品を購入していると妊娠を否定する内容が書かれてあり明らかに嘘です
ちなみに石原裕次郎さんは松田聖子さんとの不倫関係を隠すため、松田聖子さんと神田正輝さんを結婚させ当時、神田正輝さんと付き合っていた岡田有希子さんは無理やり別れさせられたという想像力豊かな話までありました。
ここまでくると作家もびっくりの想像力ですね。
実は自殺ではなくて他殺説
自殺ではなく誰かに窓から突き落とされたと言う噂も有ります。
なぜこのような噂が広まったのかというと、最初の報道で屋上じゃなく7階からと飛び降りたと言われていたことが原因のようです。
また屋上の看板の横のフェンスはスカートの女性がよじ登ぼる事は無理だというのも噂を広めてしまった要因です。
以上、2つの点から他殺説も疑われましたが、仮に他殺ならば、なぜ突き落とした殺人犯を警察が庇い自殺と見せかける必要があったのか不明であるため、この自殺を他殺に結びつけるのは人聞きの悪い物騒な噂としか言いようがないという結論になっています。
死んだマネージャーは全てを知っていた?
岡田有希子さんのマネージャーの溝口伸郎さんも彼女の後を追うように2000年に自ら命を絶っています。
それも彼女が生前最後に使用したと言われるトイレの個室の中だそうです。
彼は2000年当時、結婚もしており仕事も家庭も順調だったと言われています。
そんな彼の突然の自殺、そして前述したように自殺場所が岡田有希子さんが生前最後に使用したと言われるトイレの個室の中。偶然と考えるには不自然ということで、自殺ではなく他殺説もあがります。
そして岡田有希子さんの自殺の真相を知るために彼は消されたのではないかという声まであがります。
岡田有希子の自殺写真を撮ったフライデーカメラマンが翌年に事故死!→実はデマ
岡田有希子さんの自殺した直後の写真が未だにネットで蔓延しています。このような写真が撮られて、なおかつ週刊誌にも載せられました。
今では考えられませんね。
この週刊誌は前年に起きた日航機墜落事故の現場の多くの遺体の写真を載せていました。しかしその後、この週刊誌は廃刊になりました。
この岡田有希子さんの写真を撮った報知新聞社のカメラマンは、まだ警察が到着していないのをいいことに、より良いアングルの写真を手に入れる為、うつぶせに倒れている岡田有希子さんを足でけって転がし、ベストショットの撮影に成功した、というものです。そのカメラマンが翌年事故死をとげています。
この事故死は岡田有希子さんの都市伝説中の話として語られています。
ただこれは実は別の別の記者の交通事故死の話とすりかえられたそうで撮った本人は現在も生存しているようです。
さらに「夜のヒットパレード」で歌っていた中森明菜さんのうしろにワンピースを着た岡田有希子さんが立っていると多くの視聴者からの問い合わせが殺到したそうです。
音楽番組中、歌う中森明菜さんの後に、ワンピースを着た岡田有希子さんが立っている・・・。 pic.twitter.com/Oxhlh5BHKO
— あつし (@fMlqnmvgXaqUWC6) 2019年4月10日
見てみましたが、中森さんの顔のアップの後ろにいる演奏者たちが左に流れて、次のシーンに変わる直前に白い服を着ている人が確かにいます。その方は明らかに何も演奏せず、ただ見ているだけのようにも見えます。
皆さんが言っているのはおそらくこのシーンだと思います。
髪型のシルエットは似てるように見えますね。
まあこれを幽霊と捉えるか、ただ別の人が立っていただけと捉えるか・・・
信じるか信じないかはアナタ次第です!
岡田有希子の自殺の新事実がフライデーで語られる!
12/02 爆報!フライデー 岡田有希子の死から30年 闇に消えた資料…直筆の衣装のスケッチなど #爆報THEフライデー #岡田有希子 pic.twitter.com/OOz1updsSv
— Maruty_tw (@Maruty_Tw) 2016年12月2日
自殺の直前までそばにいたという所属事務所「サンミュージック」の福田時雄元専務が2016年12月2日放送の「爆報!THEフライデー」に出演し、岡田有希子さんが死を選んだ「真相」について語っています。
初めにしたリ◯トカット&ガス自殺未遂と飛び降り自殺について福田元専務は、この「2つの自殺」には違った背景があるとの見方を示しています。
岡田さんの1回目の自殺未遂は「(当時関係を噂された)男性への一途な思いから」の行動であり、2回目の自殺は「(自殺未遂で)大変なことをしてしまったから、もう生きてはいけないと思い詰めたのではないか。皆に迷惑かけたという自責の念」などと語っていました。
相澤社長は自殺前の岡田さんの様子をこう語っています。
自殺する3日前に、僕の家に有希子が食事に来た。なんとなく元気がないから、”おまえがこれからうちの会社を背負っていくんだから、がんばらなきゃだめだよ”というと、”私なんかもう、だめだから“”あとにいい子(=酒井法子のこと)がいるじゃない”という暗い話をしだしたんです」と語っていました。
岡田さんが自殺したあとに彼女が残していた1冊の日記風のノートをし、相手の男性の名前(=峰岸徹)はもちろんのこと、彼女が峰岸を思い、そのことがうれしくて、喜ぶさま。一方で、その恋は成就することがないと判断し、真綿でクビを絞められるような苦しみが克明に綴られていたという。
「有希子は峰岸さんに恋焦がれて、プラトニックな愛を持ち続けて、自殺したんです」
と語っていました。さてこれが本当に真実なのか?
岡田有希子の母親が自殺の真相を語る!
前述しましたが、岡田有希子さんには遺稿集「愛をください」というものが存在します。
すでに絶版となっていますが、岡田有希子さんがかいた絵画・詩・日記が記されたものだけでなくそこには岡田有希子さんの母親の手記も寄せられています。
母親の手記では遺書についても触れられ、当時話題となった峰岸徹さんの名前が確かにあるものの痴情のもつれなどはなく、”相手の男性には騒動に巻き込み、申し訳ない。そして気の毒”と綴られているといいます。つまり岡田有希子さんの失恋相手は峰岸徹さんですが、弄ばれたようなものではなかったことが伺えます。
またそれよりも岡田有希子さん母親の手記では、若い彼女を都会にたった一人にしてしまった自身の後悔が記されています。
失恋は人生に大きな影響を与えますが、岡田有希子さんの死については、そんな一つのことだけで語られるべきものではなかったのでしょう。
まだ高校生ですもんね。都会に行って、厳しいであろう芸能界で色々と気苦労もあったのでしょう。
30年経って発覚した岡田有希子の新事実が自殺以上にヤバい!
「爆報!THEフライデー」において、岡田さんについての新事実が発覚しました。
サンミュージックに保存されていた岡田有希子さんの資料が死後に紛失しているということです。
同番組では持ち出した人物を特定し会いに行っています。
その人物は岡田有希子さんの死の2年後にサンミュージックに入社し、2年勤めた後に突然退社したオーストラリア出身の白人男性・リチャード氏(50)でした。
そして番組では都内に住む本人を直撃しています。
同氏は「(資料を)持ち出したことは本当のことです。会社から勝手に持ち出したことは申し訳ないと思っています」と謝罪。都内の倉庫のコンテナに岡田さんの資料194点を大切に保管していることを告白しました。
サンミュージック勤務当時、岡田さんの貴重な資料が同社の倉庫の奥深くにしまい込まれているところを目撃。「30年でも100年でも残すことに意味がある」と、資料持ち出しを決意した理由を明かした。
この人がそもそもなぜそんなことしたのかが謎ですね。
4月8日が命日の岡田有希子の墓前には今も大勢のファンが
動画、2018年佳桜忌 岡田有希子
ツツジは咲き始めていたかな? pic.twitter.com/ZDCH3xqdsC— Open Your Heart (@YAMAZAKI1984) 2019年4月6日
自殺を図った日から33年たった今でも命日の4月8日は、ファンにとって大切な日であり、亡くなった午後12時15分には、愛知県にある彼女の墓前で黙とうが行われているそうです。
ファンにとっては、いつまでもかけがえのない、愛すべき存在なのでしょうね。
岡田有希子さんのご冥福をお祈りします。
【関連記事】岡田有希子の母親の佐藤孝子が手記「愛をください」で明かした娘の自殺の前兆がやばい