白石隆浩の生い立ちがやばすぎる!幼少期からサイコパス!

白石隆浩(30歳)は、2017年に起こった『座間9遺体事件』の犯人です。

2017年に逮捕された白石隆浩は、被害者9人全員への承諾なき殺害行為(女性8人への強盗・強制性交等殺人罪及び男性1人への強盗殺人罪)などが認定され、2020年12月15日に東京地方裁判所立川支部で死刑判決を受けました。

今回は白石隆浩の生い立ちについて検証していきます。

白石隆浩の生い立ちについて

 

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そのあまりの猟奇性から世間を震撼させた『座間9遺体事件』を引き起こした白石隆浩とはどんな人間なのでしょうか?

白石隆浩は1990年10月9日生まれで、出生地は東京都町田市。

1994年頃、当時4歳だった白石隆浩は自動車関連の仕事をしていた父親と母親・妹とともに座間市の一軒家に引越しました。

2009年3月に横浜市内の県立高校(神奈川県内の商業系高校)を卒業してからは大手スーパーに就職。

就職後は正社員として勤務しており、目立ったトラブルはありませんでしたが、2011年10月に自己都合退職してからは海老名市内のパチンコ店に勤務するなど、神奈川県内で複数の職を転々としました。

幼少期の白石隆浩は「おとなしく目立たない存在」で、両親・妹との4人家族でしたが、事件発覚の数年前に母親・妹と別居し、父親が1人で自営業を営んでいました。

2020年11月24日の第21回公判で、弁護側が読み上げた白石隆浩の母親が捜査段階で語った供述調書では、その生い立ちが明かされました。

「私と夫は1989年に入籍し、90年に隆浩を出産しました。3086グラムの元気な赤ちゃんで、心から喜びました。隆浩という名前も、夫といろんな本を読んで字画や文字を考えました。自由に物事を考え、行動してほしいと思っていたので、あまりかまわないようにしていました。今考えれば甘やかしすぎたかもしれません。」

引用:https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/

出典:https://www.tokyo-np.co.jp/

その言葉から始められた内容について。

母親の話から白石隆浩にはあまり干渉せず、好きなようにさせ甘やかせていたよう。

そして白石隆浩が誕生した数年後に妹が生まれます。

娘に比べればわがままに育ったと思います。夫は休みの日に子どもと遊ぶことを楽しみにしており、子煩悩な父親でした。年に1度くらいは旅行をしたり私の実家に帰ったりして、どこにでもいる、ごく普通の家庭だったと思います」

引用:https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/

母親の話を聞けば何処にでもある普通の家庭で育ち、普通に愛情を注がれた幼少期だったと思われます。

父親も子煩悩で、寧ろ甘やかされて育てられたようでもあります。

 

小学校時代

出典:https://newsee-media.com/

では白石隆浩の猟奇性がどのように育っていったのか、その成長過程から見ていきます。

まずは小学校時代から。

 

ゲームに夢中

白石隆浩は小さい頃からおとなしい子だったそう。

白石隆浩はテレビゲームが好きで、幼稚園か小学校入学の頃に母親が買ってあげたそうです。

ゲームをする時間を1日2時間と決めていても白石隆浩は熱中してそれを守れず、母親は何度も注意したそう。

それでも母親は息子は素直にかわいく育ってくれたと思っていたと言います。

白石隆浩は小学校低学年の時に、高学年にならないと読めない漢字を読むことが出来ていたそう。

その理由を聞くと『ゲームの攻略本に載っていた漢字を自分で調べた』と言っていて、それを聞いた母親はそこまでゲームが好きなんだなあと感心したそうです。

白石隆浩は勉強が得意な方ではなかったが、国語だけは成績が良かったと言います。

クリスマスや誕生日には、ゲームをお願いされた記憶しかなく、ゲーム好きだったと母親は語っていました。

それほどに白石隆浩はゲームが好きで夢中になっていた事が分かります。

 

自己中心性はこの頃からあった

1994年、白石隆浩が4歳の頃に家族と共に神奈川県座間市小松原の一軒家へ引っ越し、幼稚園を経て地元の公立小学校へと進学しています。

出身小学校については、実家の場所などから『座間市立旭小学校』ではないかと推測されていますが、確定情報ではありません。

白石隆浩の小学校時代の同級生の証言によると、当時の白石隆浩は「ほとんど覚えていない」「陰が薄い子だった」「大人しく目立たない」「いつも何かに怯えている印象」といった少年だったようです。

大人しく目立たない少年だった小学生時代の白石隆浩ですが、小学校時代の卒業文集の作文からは、その後の犯行にも繋げて考えられるような『自己中心性』も垣間見られます。

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白石隆浩は、この作文で日光江戸村に行ったという修学旅行の思い出を記しています。

楽しかったとしつつも、作文の中では「見たいものがあったけど、班の人が先に行ってしまったので見られなかった」「班の人が観たいと言って観た映画が幼稚でつまらなかった」などの不満が。

この文集の文面を見た犯罪精神病理学の専門家は「他人の関心を引こうとする社交性はあるものの、人間関係の希薄さを感じる」と分析しています。

この白石隆浩の卒業文集の文面の中で、同級生をそれぞれの名前ではなく全員を同じように「班の人」と呼んでおり、どこか周りの同級生達を冷めた目で見つめている、と言った当時の白石隆浩の姿が想像されます。

 

裏と表の顔を使い分けていた

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白石隆浩の小学生時代からは、どことなく冷たさが感じられます。

その印象を一層強める証言が、白石隆浩の実家の近くに住む2人の主婦から上がっています。

その2人の主婦は白石隆浩の小学生時代の同級生の母親なのですが、1人の主婦は当時の白石隆浩について「手のかからないおとなしい真面目な子」「妹の面倒をよく見る良いお兄ちゃん」と大人しく優しい少年だったと話しています。

しかし、もう1人の別の主婦は白石隆浩の同級生だった娘から白石隆浩の全く別の性格を聞いていたそうです。

白石隆浩は、小学校の集団登校で登校班の集合場所に遅刻してきたり、学年が下の子の面倒を全然見なかったのだそう。

この2つの証言から、小学生時代の白石隆浩は大人の前では大人しく優しい少年を演じ、子供達だけの場面ではいい加減で冷酷な本性を見せていたという見方が浮かび上がってきます。

白石隆浩は、言葉たくみに自殺志願者を優しく誘い、冷酷な方法で次々と殺害していきました。

その豹変する表と裏の顔と言う二面性は、小学生当時から白石隆浩の中に存在していたのかも知れません。

 

失神ゲームにハマる

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白石隆浩の小学生時代のエピソードとして、もう1つ気になるものが。

白石隆浩は小学生時代に友人同士で首を絞め合い、酸素を欠乏させて失神させ合うゲーム『失神ゲーム』にハマっていた事があるというのです。

当然ながら、この遊びは下手をすれば本当に死んでしまう可能性もある大変危険なもの。

日本だけでなく世界中で行われ、死者や後遺症が残ったりして、逮捕者・補導者が出て問題になっているものです。

白石隆浩自身も小学校時代に「首締めあって失神ゲームみたいなのをやって、失神したことがある」と言っていたと同級生が語っていました。

白石隆浩は実際にこのゲームで失神した事もあるようで、小学生時代からこうした危険な行動を繰り返した事で、命を軽んじる人格形成につながったのではないか?と見る向きもあるようです。

 

中学時代

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次に白石隆浩の中学生時代を見ていきます。

 

野球、陸上、学習塾、どれも長続きしない

座間市内の公立小学校を卒業した白石隆浩は、そのまま地元の公立中学校へ進学したとされます。

白石隆浩が通っていた中学校については「座間市立東中学校」という情報が。

これはTwitterで白石隆浩の同級生だという人物が公開した情報ですが、証拠などは示されておらず確定情報ではありません。

中学生時代の白石隆浩は、1年生の頃は野球部に所属し、2年生からは陸上部に入り直して、卒業まで続けたようです。

白石隆浩の中学時代の卒業文集の作文は『僕と部活』というタイトル。

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この作文では「勉強や遊びよりもひたすら部活を頑張っていた」と書いており、「部活を通じて成長出来た、良い思い出でや友人も出来た」などを綴っています。

ただ、この作文はわずか12行の短いもので、文章も文字も雑で適当に書きなぐっただけのような印象が。

そして、白石隆浩の中学時代の同級生の母親が「卒業文集の彼の作文を読んだら部活のことばかり書いてあって、そうか、部活を頑張っていた子なのかと一瞬思ったが、野球部の集合写真にも陸上部の集合写真にも彼の姿がない」と証言をしています。

別の近所の主婦の証言によれば、白石隆浩はどうやら部活にはほとんど顔を出さない『幽霊部員』だったそうです。

つまり、白石隆浩は卒業文集に堂々と嘘を書いていた可能性が。

なお、中学時代の同級生達からは、当時の白石隆浩の印象について「根暗っぽくはないが、目立つわけでもなかった」「優しくていい人だった」「地味だけど友達とも楽しそうにしてた」といった証言が出ているようです。

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母親の供述調書からも白石隆浩の中学時代の事が語られます。

「野球部は1年でやめました。野球より走ることが好きだと言って、中2からは陸上部に入りました。しかし中3になると、(成長期の男子が膝などを痛める)オスグット・シュラッターという病気にかかり、陸上部もやめました。」

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オスグッド病によって白石隆浩はやむなく部活を辞める事になったと母親は思っていたようだが、同級生の母親の証言から、実際は幽霊部員で部活には出ていなかったようです。

「中2の時に自宅近くの学習塾に通いましたが、ずる休みをすることもあり『行きたくない』と言ったのでやめました。塾をやめると成績も下がり、仲のいい友だちと中3のクラスでは別れてしまい、『学校に行きたくない』と言うようになり、休みがちになりました。

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塾については母親に言われて何となく通っていたそう。

しかし、せっかく通い始めた学習塾も「行きたくない」と辞めてしまった白石隆浩。

そして、仲のいい友達ともクラスが分かれてしまいます。

『つまらない』『気の強い子ばかりで合わない』と言っていました。いじめにあっていたのかもしれません。強制的に学校に行かせようとしたこともありましたが、かわいそうで、次第に無理して学校に行かせるのをやめました」

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学校に行くのを嫌がる白石隆浩を、可哀想だからとその内無理に学校へ行かせることはしなかったそう。

この頃から次第に人との繋がりが希薄になっていったのかもしれません。

白石隆浩はこの頃学校にも行っていなかったにも関わらず勉強よりも部活を頑張っていたと文集に書いていたのです。

この頃から虚言癖があったのかもしれません。

 

高校時代

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それでは次に高校生時代を見ていきます。

 

引きこもり気味で暴力的になった

白石隆浩は成績が悪かったため、高校は進学校ではなく就職に有利な学校に進んだそう。

母親の供述では「『まわりがだらだらしていてつまらない』などと言っていたので、あまり楽しい高校生活ではないと思いました。欠席や遅刻が多かったです」と言います。

中学時代も休むことが多かった白石隆浩は、高校に入ってからも同じように休んでいたようです。

そしてその頃から白石隆浩の性格も変わっていったといいます。

性格が内気に代わっていき、食事以外は部屋に引きこもるようになったそうです。

家族とも最低限しか会話をしなくなり、妹とも会話がなくなり、ゲームをする時間が多くなったそう。

いつも部屋を散らかしていて、ゲームの時間を決めたり部屋のを片付けたりする約束をしたが守れない事が多かったとか。

そのことで注意をすると「今やろうとしてたのに、言われたからやる気がなくなった」と言い返されたそう。

干渉されることを酷く嫌って、注意されると意地でも聞かない事もあったそうです。

母親は白石隆浩が何度注意しても態度を改めないため、部屋のブレーカーを落として強制的にゲームをやめさせたこともあったといいます。

「その時には隆浩も怒り、部屋の壁を殴って穴をあけました。普段、人に暴力を振るうことがない子でしたが、頭に血が上ると暴力的になることもあるのだと思いました。父とも話さなくなっていきました」

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それまでは見せなかった暴力的な一面が、この頃から現れ出したのかもしれません。

 

格闘技が好きで柔道を始めるも1年で辞め1人暮らしのためのお金をバイトで貯める

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立川拘置所で雑誌記者が白石隆浩にインタビューした際に語られた内容について。

白石隆浩が進学する際、高校は商業科を選択しました。

白石隆浩が通っていた高校は「神奈川県立商工高等学校」だと言われています。

これは当初、白石隆浩の高校の同級生を名乗る人物からのリークにより出てきた情報です。

その後様々な情報検証がされ、ほぼ確定となりました。

「このころ父親と仲が悪く、早く自立したかったんです。ただ思春期的なやつで、些細なことでケンカしました。“早くお風呂に入れ”とか」

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両親との間にも強烈なエピソードはなく、ごく普通の高校生といった印象。

高校進学後は柔道部に所属。

同級生によれば白石隆浩が入ったのはこの高校の『国際経済科』で、1年生の頃は真面目だったものの、2年生になった頃からサボり始め、週に1度は学校に来ない日があったそうです。

授業中も居眠りしている事が多く、いつもダルそうにしていたと言います。

格闘技が好きで、年末のK-1の番組はよく観ていたという白石隆浩。

「アンディ・フグが好きでした。中学でも高校でもボクシング部がなかったので、(高校は)柔道部に入りました。でも、1年でやめました。バイトを始めたんです。相武台のホームセンターや、もう閉店していますが、座間のスーパーです。当時の時給は850円でしたが、部活よりも楽しかったんです」

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しかし、白石隆浩は格闘技が好きだというわりには執着せずバイト(カネ)を選んでいます。

同級生によれば高校での白石隆浩は柔道部に入ったものの1年でやめ、2年生の頃からアルバイトに精を出し始めたそうです。

白石隆浩はスーパーやホームセンターなどで週に3日〜5日もバイトを入れ、せっせと金を貯めていたと言います。

同級生が何故そんなに金を貯めるのかと聞くと白石隆浩は「実家を出て一人暮らしをしたいからそのための金を貯めている」と答えたそうです。

 

家庭が崩壊し練炭自殺未遂

出典:https://bunshun.jp/

白石隆浩はある日、高校の友人に「実は練炭自殺をしようとしたけど失敗した」と話した事があったそうです。

それによれば、インターネットの自殺サイトで自殺志願者複数人で集まり、実行する寸前まで行ったそうなのですが、1人が直前で怖くなったため、結局中止になってしまったのだそうです。

白石隆浩はこの自殺未遂の話を、その同級生に淡々と話したといいます。

ちょうどこの少し後に白石隆浩の両親の関係が悪化し、白石隆浩の妹が大学に進学して一人暮らしするのを世話するためという理由を建前にして母親が実家から出て行き、その後離婚したと報じられています。

家族の不和が白石隆浩の自殺未遂に関係しているのかは不明ですが、この時、自殺サイトを利用していたというエピソードは、その後の『座間9遺体事件』に影響を与えているように感じます。

 

大手芸能養成所に通っていた

白石隆浩は高校時代、芸能界に興味を持ち、ある大手の芸能妖精学校に通っていたそうです。

日本テレビで放送された連続ドラマのエキストラのオーディションに合格し、後ろ姿だけとはいえ出演した事もあったそうです。

この事を白石隆浩は「何千人の中から選ばれた」と嬉しそうに同級生に自慢していたといいます。

しかし、白石隆浩虚言癖があるので事実かどうかは定かではありません。

 

卒業前に自殺を考え3回家出、北海道では水樹奈々似の女性と関係をもった

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母親の供述調書には、白石隆浩の精神的な不安定さをうかがわせる記述もありました。

白石隆浩は高校卒業目前に3回家出をしたというのです。

場所は北陸、山陰、北海道で、当時、携帯で自殺に関する方法を検索していたといいます。

自殺を考えていたのかもしれないが、死ぬことは出来ず数日間で家に帰ってきたそうです。

「隆浩は『もうどうでもいいや』『生きていても仕方がない』と言うことがあったので、突発的に死にたいことはあったのかもしれません。どうしたらいいのか分からず、私は『生きていたら楽しいこともあるから』と声を掛けました」

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また、高校2年か3年の頃、白石隆浩は冬休みを利用して北海道へと1人旅に行っていたようです。

その時、旅の途中で知り合った声優の水樹奈々さん似の29歳の女性と知り合って、ホテルで関係を持ったと同級生に自慢していたそうです。

同級生は写真も見せられたそうで「確かに水樹奈々に似ていた」と証言しています。

高校時代に恋愛がらみの事を白石隆浩から聞いたのはこのエピソードだけという事でした。

しかしこれも虚言壁のある白石隆浩の事ですから、写真も見せてもらったということですが、事実かどうかは怪しい所があります。

 

社会人時代

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続いて、社会人になってからを見ていきます。

 

パチンコやスロットにはまり常に金欠

白石隆浩は高校を卒業したが、遅刻や欠席が多すぎて学校推薦では就職できず、アルバイト先の自宅近くのスーパーに自分から頼んで就職しました。

学校推薦ならもっと良い会社に就職できたはずなので、本人も本意ではないかもしれないが、とりあえず決まってほっとしたと母親は言います。

就職したスーパーではベーカリー部門に配属され、朝が早くなった白石隆浩は独り暮らしを始めます。

その後、母親は息子の詳しい状況が分からなくなったと言います。

このタイミングで夫との離婚を考えたという母親。

別居を白石隆浩には相談せず事後報告になったそう。

白石隆浩の法廷での供述によると、事件までの7年間ほど、母や妹とは音信不通の状態だったと言います。

供述調書の中で母親は離婚の理由には触れていません。

「横浜市戸塚区に住むことになり、給料の手取りは14万円だったと思います。このころパチンコやスロットにはまってしまい、お金が足りませんでした。『タウンワーク』を見ていたら、手取り20万円の仕事が書いてあり“いいな”と思った記憶があります」

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パチンコやスロットで白石隆浩は常に金欠だったそうです。

「夫は『隆浩には連絡しないでほしい』と言っていました。隆浩が金にだらしなく、金がなくなると『貸してほしい』と言ってくるからです。隆浩は『仕事の先輩とのつき合いでお金が足りない』と話しており、信じましたが、私の生活が苦しいため連絡は取らなくなりました」

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母親の供述調書からも、白石隆浩がお金にだらしなく父親に何度もお金を借りていたという事が分かります。

それらのお金は全てギャンブルへと消えていったのでしょうか。

 

社会に出るも職を転々とする

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2009年3月で高校を卒業した白石隆浩は、大学へは進学せずに、高校生時代からアルバイトしていたという地元の大手スーパーに就職しています。

この頃に実家から出て、1人暮らしを始めたようです。

スーパーには2年3ヶ月正社員として勤め、トラブルなどもなかったようですが、2011年10月頃『自己都合』で退職しています。

その後は、神奈川県横浜市の電子機器販売会社や情報通信系の会社など職を転々とするものの、いずれも長続きせず、数ヶ月から半年ほどで退職しています。

24歳頃からは神奈川県海老名市内のパチンコ店でアルバイトをするなどしたようです。

また、一時は派遣会社に登録し、食品加工工場で働く事が決まりましたが、入社してわずか2日で無断で退職するなどしています。

 

歌舞伎町のスカウトマンとして働き始める

出典:https://times.abema.tv/

白石隆浩は24歳で横浜市内のパチンコ店でアルバイトをしていた頃、この時に半グレ集団の男と知り合いました。

その紹介で新宿歌舞伎町の水商売で働く女性をスカウトする仕事を紹介され、スカウトマンとして働き始めます。

白石隆浩がスカウトマンとして働き始めたのは2012年8月頃とされています。

スカウト時代の仲間によれば、スカウトとしての腕は評価されていたそうです。

SNSなどを駆使して女の子を探し、優しくマメに返信する事で良い成績を上げていたといいます。

ただ、路上での水商売系やAV女優へのスカウト行為は法律に違反するため、白石隆浩は同じ場所にじっと出来ず、すぐに場所を変えていたため「気が小さかった」とも評されています。

歌舞伎町でスカウトをしている男性によると、「白石はあまり話さない存在感のない男だった」といいます。

『売り風俗(違法売春)』専門。女の子に対しては常に受け身で、マメでやさしく、身内のように心の中に入り込んでいく」のだそう。

しかし、歌舞伎町の雑踏に立つスカウトマンに片っ端から聞くと、ほとんどは白石隆浩を「知らない」と言う。

それはSNS上でもスカウトしていたためかもしれません。

 

職業安定法違反で逮捕

出典:http://namanushi2525.liblo.jp/

白石隆浩はスカウトマンとしてかなり長く働いています。

しかしある頃から、白石隆浩に約束を守らず女の子から金を騙し取る『悪徳スカウト』といった噂が流れるようになります。

風俗店に紹介した女性の給料約200万円をネコババしようとしたほか、SNS上には、「新宿にいる白石というやつに注意してください!極悪スカウトです!」などと顔写真つきで『指名手配』する投稿があるほど。

出典:https://twitter.com/

そして2017年2月、売春に関わった嫌疑により、職業安定法違反の疑いで茨城県警によって逮捕されています。

白石隆浩は起訴されますが執行猶予判決となりすぐに社会復帰しています。

しかし、これをきっかけに警察にマークされるようになり、スカウトマンは続けられなくなったようです。

 

座間に出戻り

スカウトマンを続けるのが難しくなった白石隆浩は、それまで住んでいた東京池袋のマンションを引き払い、神奈川県座間市の実家へと戻ります。

 

配送会社で派遣作業員として働く

2017年3月〜5月にかけては、派遣社員として配送会社の倉庫作業員として働いていたとの情報も出ています。

その頃同じ派遣スタッフとして倉庫作業員をしていたときの同僚女性が白石隆浩について印象を語っています。

実年齢より若く見えた。礼儀正しく挨拶が出来る物腰の柔らかい好青年。仕事をすぐ覚えテキパキと働いていた。口数は少なく誰かと親しくすることはなかった。風俗店のスカウトをしていたなんて面接担当者も知らなかったよう」と言います。

勤務時間は午前9時から午後6時まで、週4、5日は働いていた。派遣先の責任者は「ひとりで黙々とやる作業で、彼についての記憶はあまりない。仕事上のトラブルはなかった。本人事由の退職だった」と語っています。

退職の理由については白石隆浩が逮捕されたから。

2017年2月6日には職業安定法違反(有害業務の職業紹介)の疑いで茨城県警生活環境課と鹿嶋警察署に逮捕されています。

同法違反の罪で同年5月29日に水戸地裁土浦支部から懲役1年2月・執行猶予3年の有罪判決(同年6月13日に確定)を受けました。

倉庫作業員を辞めたのはこの直後です。

 

事件現場となる座間市のアパートに入居

出典:https://friday.kodansha.co.jp/

2017年8月22日、白石隆浩は実家から歩いて30分ほどの座間市のアパートへと引っ越して再び1人暮らしを始めます。

このアパートこそが後に『座間9遺体事件』の現場となるアパートです。

 

ターゲット女性をTwitterで探し始める

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白石隆浩は職業安定法で逮捕された直後の2017年3月に、Twitterを利用して自殺願望を持つ女性達と交流するようになります。

また、この頃にインターネットを利用して自殺するための知識などを学び始め、その知識を利用して自殺願望を持つ女性の気を引いていたようです。

 

1人目を金目当てで殺害

『座間9遺体事件』の現場となったアパートを借りるには、口座に一定の金額がある事を示す必要がありました。

その金額を用意するために、白石隆浩はその後1人目の被害者となる当時21歳の女性に約50万円を口座に振り込ませています。

そして、白石隆浩はこの女性に振り込ませた50万円の返済を免れたいという理由で殺害を思い立ち、入居翌日の2017年8月23日、アパート内で性的な暴行を加えた後にロープを使って首を絞めて殺害します。

殺すことを考え始めたのは8月18日でした。知り合ってから彼女がけっこうな額の貯金をしていることを知り、僕はそのカネが欲しくなった。『カネが無いから不動産屋の審査が通らない』と彼女に話し、約50万円を借りたんです。おかげでアパートの審査は通ったんですが、借りた50万円は返したくないと思った。それが8月18日の話。どうすれば返さずに済むかと考え、彼女を殺すことにしたんです

引用:https://friday.kodansha.co.jp/

雑誌記者のインタビューで、白石隆浩は天気の話でもしているかのように淡々と話していたと言います。

 

2人目以降は性欲を満たすために殺害

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1人目の女性を殺害した後、白石隆浩は遺体に性的暴行を加えた事も明かしています。

さらに、この時の経験が思っている以上に快感だったとし、それが2人目以降を殺害する動機になったとも言っています。

性欲が溜まっていたのもあり、首を絞めて殺害した後、A子(1人目の女性)さんをレ○プしました。すると思った以上に快感を覚えた。それからレ○プ物のA○や、女性を昏睡させたり縛ったりする作品にハマりました。二人目以降は、カネを持っていようがいまいが関係なく、昏睡させてレ○プすること自体が目的に変わりました

引用:https://friday.kodansha.co.jp/

その後、白石隆浩はおよそ1週間に1人というペースで次々と被害者を殺害

2017年8月23日〜2017年10月23日にかけて、合計で9人の人間を殺害しました。

殺害方法は全てロープで首を絞めるというもので、女性被害者は全員に性的暴行を加えています。

これらは全て白石隆浩が自らの性的欲求を満たすためでした。

その後遺体を損壊し、遺体の一部はアパート内で収納ボックスやクーラーボックスに入れて保管。

そして10月31日、9人目の被害者の兄が白石隆浩を突き止めた事をきっかけにして逮捕され、犯行は終わりを告げます。

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Twitter上で『首吊り士』と名乗り、自殺願望を持つ女性と知り合い次々殺害していった白石隆浩。

その影響は大きく、事件に利用されたTwitterでは事件後に利用規約変更がなされた程。

しかし、無残にも奪われた命が戻る訳ではありません。

白石隆浩は2020年12月15日に東京地方裁判所立川支部で死刑判決を受けました。

一旦は白石隆浩の弁護人が控訴しましたが、白石隆浩が自ら控訴を取り下げたため、控訴期限が切れた2021年1月5日に死刑が確定。

現在、獄中で死刑囚となった白石隆浩は何を思うのでしょうか。

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