宮崎勤の家族及び親戚(一族)の現在(その後)まとめ!母親の旧姓で暮らす父親の末路がやばい!

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宮崎勤さんは東京・埼玉で起きた「連続幼女誘拐殺人事件」で死刑判決を下されました。

この事件では4人の幼い命が宮崎勤さんの手で奪われてしまいました。

今回はこの事件が宮崎勤さんの親族に与えた影響についてお話していきます。

宮﨑勤の家族及び親戚(一族)の事件のその後の現在についてまとめ!末路がやばい!

宮﨑勤さんの家族及び親戚(一族)の事件のその後の現在について調べてみましたので、紹介していきます。

父親→離婚して苗字は母親の旧姓で暮らすも苦悩の末自殺

事件の後、宮崎勤さんの父親のもとには記者たちが押し寄せました。

事件が明るみに出た1989年7月、百人を超える報道陣が東京都五日市町(現・あきる野市)の宮崎被告の自宅に押し寄せた。

事件後、押し寄せる記者たちの対応をずっとしていたようです。

「こんなことになって」と父親は泣き崩れた。「こんなに苦しむのなら、死んだ方がどんなに楽か」。目の前に正座して天井の一点をうつろな目で見つめ、苦しみもだえるように声を絞り出した。顔は真っ青で私たちとは一度も目を合わせることもなかった。

宮崎家は地元ではかなりの名家だったようです。

ご近所からも距離を置かれたでしょうし、精神的にかなり追い詰められていたことでしょう。

事件から一年後に家族は引っ越し、離れた土地で新たな生活を始めました。

宮崎勤の逮捕から、およそ一年、両親と二人の姉妹は、別の町に移り住んだ。
父親は印刷のアルバイト、母親はパートを始め、姉妹も職場を変えて、家族四人で、身を寄せ合って暮らしていた。
離婚して苗字は母親の旧姓を使っていた。
被害者の名前を書いた紙に向かい、毎日手を合わせていたという。

その後に宮崎勤さんの公判が始まりました。

公判が始まって、四年半後、父親は多摩川の河原で発見された。
高さ30メートルの橋の上から、夜中に身を投じたとされている。

後半の内容も報道されたと思います。

土地を変えて生活しても記者たちはすぐに突き止めるでしょう。

記者たちの対応に憔悴しきった宮崎勤さんの父親は自殺をしてしまいました。

死ぬ直前、父親は、自宅のあった土地を処分する算段をつけていた。
母親とは、その後の段取りについて、何度も話し合っていた。
母親は、その遺志を継いで、土地を処分してできた現金を、四等分にし、被害者家族それぞれに、賠償として送金したという。
その金額は、遺族からすれば、大した額ではなかった。

この自殺は家族周知の事実だったようです。

だれも止めることはできなかったでしょう。

しかし世間は許してはくれません。

遺書には「疲れた」とあった。
世間は、許さなかった。
「逃げた」と。

犯罪は被害者と同様に加害者の家族も苦しんでしまうことになります。

母親→遺体受け取り拒否後、失踪

宮崎勤さんの死刑執行された後の遺体の受け取りは実の母親が行いました。

しかし母親は遺体の受け取りを拒否し、その後の行方は分かっていません。

宮崎勤の母親は、宮崎勤の死刑執行直後から行方が分からなくなっていました。

母親は宮崎勤の死刑執行後に、東京拘置所からの遺体の引き取り依頼に対し「遺体はそちら(東京拘置所)にお任せします」と答えています。

自身がおなかを痛めて産んだ子供ですからかなり複雑な心境だったと思います。

それでも、そうせざるを得ないほど追い詰められていたのでしょう。

上の妹→会社を辞めさせられ婚約も破棄

宮崎勤さんには2人の妹がいました。

事件が発覚した当時、上の妹は勤めていたスーパーをやめることになってしまいます。

宮崎には二人の姉妹がいた。長女は事件発覚後、勤め先のスーパーを辞めた。

婚約もしており、挙式を上げる日も決めていましたがすべて破棄しています。

1989年の年末に挙式予定だったが、婚約を自ら破棄していた。

勤めていたスーパーでも直接的ではないにしても嫌がらせはあったと思います。

それに耐えられなくなったのでしょうか。

結婚にしても相手家族がかなり気にすることでしょう。

婚約を破棄される前に自分から言い出したのだと思います。

下の妹→看護学校自主退学

事件当時下の妹は看護学校に通っていたようです。

次女は、看護学校に通っていたが、退学し、看護師になる夢を絶った。

しかし学校を退学し自ら看護師への夢を断ってしまいました。

ここでも同級生からの目などがかなり気になり、学校にいられなくなってしまったのだと思います。

叔父(父親の弟2人)→双方とも会社の役員辞職!三男は旧姓に戻させるため妻と離婚

宮崎勤さんの父親は5人兄弟でした。

下に弟が二人いたようですが、二人とも会社を辞任しています。

父親は五人兄弟だった。
二人の弟は、いずれも会社の役員などをしていたが、事件後に辞任。
下の弟は離婚した。

会社には残ったようですが、かなり居づらい立場だったと思います。

下の弟さんは離婚までしてしまったようです。

また従兄弟にあたる方たちにも影響が及びました。

従兄弟にあたる子どもたちも、勤めを辞めた。
公的な仕事をしており、そのことを週刊誌などで、暴露的に報じられたため。

両親は子供を育ててきた責任があるため仕方ないのかもしれませんが、従兄弟たちまでも晒上げるのはやりすぎな気がしますね。

また宮崎勤さんにはすでに結婚していた弟がいました。

三男には娘が2人おり、宮崎姓を名乗ることの影響を考え、苦渋の決断の末に「巻き込むわけにいかないから」と妻を説得して離婚、娘達は妻に引き取らせた。

妻と子供たちいまで汚名をかぶせないように離婚をして、宮崎の姓を名乗らないようにしたみたいですね。

妻と子供たちの将来を考えての苦渋の決断だったと思います。

伯父(母親の兄2人)→双方とも仕事を辞職!

宮崎勤さんの母親には兄がいました。

二人とも公務員でしたが退職しています。

母親の兄には2人の息子がいました。

1人は警察官、もう1人は高校教師。

ですが2人も退職。

公的な仕事なため、こちらも職を続けることが難しくなったようでね。

擁護するわけではありませんが、犯罪は被害者だけでなく加害者の家族、親族までも傷つけてしまいます。

二度とのこのようなことが起きてほしくないですね。

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