保阪尚希の両親は医者?死因(死んだ理由)は何?静岡新聞では殺人(殺害)事件と掲載!

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保阪尚希さん(50歳)は多数のテレビドラマ・映画に出演し、女性からの人気を集め、萩原聖人さんや福山雅治さんと共に「新・平成御三家」などと呼ばれた俳優です。活動は俳優の枠に納まらず、タレント、歌手、料理研究家、レーシングドライバーとしても活動されています。最近では通販コンサルタントとして活躍されています。

今回はそんな保坂尚紀さんの生い立ちやご両親の噂について検証していきます。

保阪尚希の両親は医者?死因(死んだ理由)は何?

保坂尚希さんの事を調べていくと、いくつかの謎にぶつかります。その生い立ちのことです。

特にご両親について。ご両親はすでにお亡くなりになっているのですが、その死についても不明な点があります。

まず、保坂尚希さんのご両親の職業について調べてみました。ネットで調べていくと『医者』というキーワードが。しかし、実際はそうではなかったようです。

それは2007年11月に発売された保坂尚希さんの自身の著書『理由(わけ)』に記されています。

父はトヨタに勤めていたようで、実家を整理していたらトヨタの賞状が色々出てきた。トヨタの仕事とは別に母と一緒にジャズ喫茶も経営していた。”

著書によると、お父様はトヨタにお勤めをされていて、お母様はジャズ喫茶を経営されていたようです。お二人とも『医者』とはまったく関係のないお仕事ですが、なぜ『医者』というキーワードが出てきたのでしょう。

それはどうも保坂尚希さんのお仕事が影響しているようです。保坂尚希さんが過去に演じてきた役を見ていくと、医療関係の役が多いのです。

保坂尚希さんの情報を検索すると、の役柄が検索ワードに表示され、図らずもその役が、ご両親の職業にまで影響を及ぼした可能性があります。

また、ご両親はお亡くなりになっているのですが、死因について表向きは『交通事故死』となっていましたが、実際は『自殺』だったことをご自身が語っていました。

「表向きは交通事故ということになってますが、実は自殺だったんです」。保阪の口から衝撃の事実が語られた。

両親が亡くなったのは7歳になったばかりの時。亡くなる数時間前まで一緒にいたが、祖母と寝床に入ると、目覚めた時には多数の警察官が家に駆け付けていた。自殺原因は、保阪自身もいまだに知らされないままだという。

2018年2月16日TBS放送の『金スマSP』に出演された際も語られていました。

サラリーマンだった父、主婦だった母、4歳下の妹、祖母の5人暮らし。保阪は「すごい教育ママだった」母親のもと、英語、ピアノ、エレクトーン、そろばん、習字、器械体操など多くの習い事をし、幸せに暮らしていた。

しかし、7歳の誕生日を迎えた3日後の1974年12月14日、両親が自ら命を絶った。メディアでは無理心中などと報じられた。

いつもは両親、保阪が2階で寝ていたが、その日だけは、父親から「尚希はきょうはおばあちゃんの部屋(1階)で寝なさい」と言われたという。翌朝、目が覚めると、玄関に「同じ革靴がぶわーっと脱ぎ捨てられてて」と多数の警官が自宅に駆け付けており、祖母が質問攻めにあっていたという。

保阪と当時2歳半だった妹は、親戚のおじ宅に連れていかれたが、「何も分からない。急すぎて。(当日の)記憶がないんです」「記憶を消したのか覚えてないのか、そこだけ記憶が断片的なんです」と振り返った。

記憶に留められないほどのショックだったのでしょう。7歳で一度に父親と母親を失ってしまったのですから。しかも自殺で。しかも保坂尚希さんはこの前に交通事故で重傷を負っており、4ヶ月入院して退院したわずか3日後にご両親が自殺されたとのことです。

保阪尚希の両親について静岡新聞では殺人(殺害)事件で掲載される!

保坂尚希さんは自殺と語っていますが、メディアでは無理心中による殺人事件として扱っており、当時の『静岡新聞』の社会面トップをショッキングなタイトルと内容で飾っていました。

別れた妻刺殺し自殺・復縁迫り発作的に?
保阪政雄さんが妻の征子さんを包丁で刺した後、自分の胸を刺し自殺した。

内容はやはり『無理心中』のようです。父親が母親に復縁をせまったが、断られ殺害したということです。なぜ幼い子供を残して無理心中をしたのでしょう。原因は夫婦間の問題だったようです。

政雄さんがギャンブルにハマッてから夫婦仲が冷えた。家計を支えるために店を出してからさらに険悪になった。1974年10月に征子さんが1人で家出をし、12月初旬に協議離婚が成立

父親の政雄さんのギャンブルがきっかけで母親の征子さんと不仲になってしまい、無理心中を図るまでになってしまったようです。実際にそれが理由だったのかは不明だそうです。保坂尚希さんも理由を追求することはしませんでした。

遺体は見たが理由は今も分からない。聞こうとも知りたいとも思わない。

辛い記憶をわざわざ思い出す必要もないですもんね。

保阪尚希が出家したのは両親の死別が理由!

保坂尚希さんは2007年3月22日に突然記者会見を開き、4月12日に熊本県合志市の六水院で得度(僧侶になるための儀式)を受け、ご両親の33回忌の供養のために仏門に入る旨を明らかにしました。

剃髪は行わず芸能活動も継続し、法名は『尚陽』としました。その翌年、ご両親の供養が終わった後に法名を返納し、僧侶としての活動を終えました。

保坂尚希さんが出家したのはご両親のためだったそうですが、ほかにも心境の変化があったからだそう。

芸能界に入り、両親が亡くなった26、27歳を超えると、「突っ張って生きてきたつもりでも、いろんな人に助けられてきた。1人で生きてきたんじゃない。周りの人のためになにかできるんじゃないか」と仏門を志すようになったという。

1年ほど前には、「この人なら」と思える女性の僧侶に出会い、出家の準備を進めてきた。4月12日に熊本の真言宗の寺で得度(僧侶になるための儀式)を行う予定になっている。 自身の体験と重ね合わせて、小学生が遺書を残して自殺するような事態に心を痛めている保阪は、「仏門に入って、修行しながら子供たちの相談に乗ってあげられたら」と希望。

幼い頃にご両親を無理心中で亡くし、『死』というものを身近に感じてきた経験から出家を考えたのでしょう。『死』と向き合ってきた保坂尚希さんですから、悩んでいる子供達の相談に乗ることができるのだと思います。

現在は通販コンサルタントで実業家として活躍されていますが、常に新しいことにチャレンジしている保坂尚希さんの今後の活躍に目が離せません。

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